一日中寝たきりの利用者さんがいる。ベッドから起き上がるのは、食事のときくらい。わたしは、仕事をはじめたばかりだった。体のどこを持つと体の向きを変えられるのか。ベッドから車椅子に移すのに利用者さんの力をどうつかうのか。一つひとつ覚えながら、生活介助をすること3ヶ月。反応はあっても、会話はほとんどなかった。「こいつ誰や」。そう思われていたかもしれない。
あるとき、利用者さんの誕生日が近いことを知った。誕生日おめでとうございます、と伝えた。「ありがとう」が返ってきた。その日からニコニコしてくれるようになった。「10月入っても半袖なんですかー」「そやなー」「紅葉だよ」「あーそっけー」。おしゃべりするようになった。想いはみんなもっている。自分の関わりかた次第で、声が聞けるんだ。パンチ効いたなあ。
そのときしか見れない利用者さんの様子がある。勤務時間はできるだけ利用者さんと話す時間にあてたい。横並びになったり、冗談言ったり、ジャンケンしたり。できることは、できるだけ、利用者さんにしてもらう。「がんばってくださーい」「お願いしますー」声をかけながら足を踏ん張ってもらう、手すりを持ってもらう。共同作業だ。現場はすごい。施設には、たくさんの記憶が詰まってる。「この人は立てるよ」「言葉が話せるよ」「こういうやり方もあるよ」先輩から教わったことを、家でノートにまとめてみる。「仕事なんやしスパって終わったらいいやん」そう言われるけど、書くことで早く覚えられるなら。イヤじゃなかった。わたしはテキパキできるほうじゃないし、未経験で入ったから、人よりやらな。やらないと覚えられない。どんな仕事もそうだと思う。対価をいただいて仕事させてもらっているから。そこはちゃんとしたい。3年目だけど先輩たちにまじってリーダー研修に参加したり、ふくしデザインゼミに参加させてもらうようになった。
小学生のころ学童が大好きだったわたしは、大人になったら福祉をしようと決めていた。京都の大学では社会福祉を学んだ。相談援助をするにも、まずは現場を知ること。福祉はむちゃくちゃお給料いいわけじゃない。けど、奨学金返済もしながらやっていける。たまたま就職フェアに行って、声をかけてくれて、誘ってもらって、練習と思って、受けて。内定をもらった。あとから知ったけど、おばあちゃんがショートステイで通っていたところだった。
運動会といえば運動会は地区のみんなでするものだった。おじいちゃんと玉入れをする、おばあちゃんとかけっこする。地域ぐるみで子どもが大事にされている。小学校への通学路は、おじいちゃんおばあちゃんに見守られてた。横断歩道を渡りきるまでの数秒間。おじいちゃんおばあちゃんは、早起きして待っている。「行ってらっしゃい」「ありがとうございます」お互いにすごく幸せな空間が流れる。もう、めっちゃ笑顔になる。「待つ」って、やりがいがあるからできるんだよね。孫の洗礼は、大学になってもつづいた。
さいきん、地元をひさしぶりにゆっくり歩いた。高島には、住所に載らない小さな字(あざ)がいくつもあって、そこを歩いてるとさらさら水が流れてたり、そばの花が満開だったりする。おばあちゃんが歩いてきて、こんにちはって話しかけた。それからしばらくお話しした。昔のわたしは、こんなふうに誰かに声をかけることもなかったなあ。